いつもより一本早い電車に乗って会社にきてみたら鍵が開いてなかった。早起きは三文の得って誰が言ったんじゃゴルァ。
くだらないこと。
スポーツ選手とかで「米」という苗字の選手がいたら新聞の見出しとかややこしくなりそうだ。
「米ベスト8進出!」
これだけ読んだらアメリカがベスト8進出したとしか思えない。さらにこの米選手(仮名)が、アメリカに国籍を変えたら大変なことになる。
「米(米)オリンピック金メダル!」
なにがなにやら。
そういえば、かつて女子テニスプレイヤーで神尾米という選手がいた(その後芸能界入りし、私にとっては『ウリナリ!』のレギュラー出演者という方がイメージ強い)が、例えば同じテニス選手に神尾という選手がいたら紛らわしいことになってただろう。仮にもう一人の神尾が「英子」という名前だったら、
「神尾(米)VS神尾(英)」
どちらも日本人じゃありません、みたいな。
どーでもいーですよー。

村上春樹の直筆原稿が古書店に流出

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060310-00000014-mai-soci
ヤスケン…。いやっま、ホントにヤスケンが原因なのかどうかは「死人に口なし」だからわからんけど。なんとなく納得してしまう部分もある。ただやはりここでも問題になるのは業界の体質だということだよ。

デザインとインターフェース

ひろえさんのこのエントリを読んだり、MAQさんの記事を読んだりして思ったことだが、「デザイン」という言葉を「インターフェース」という機能と結び付けていない人は意外に多いよなあ。
ひろえさんの例でいえば、ここで指摘されている「わかりにくさ」は、インターフェースとしてのデザインが不足しているということである。MAQさんの例でいえば、デザインが単独のものとして先行してしまい、インターフェースとしての機能を失っているということになるだろうか(MAQさんの話はそこが注目点ではないのだが)。
「デザイン」は単なる見栄えではない。その見栄えには意味があり、意味がないデザインは本質的に単なる形骸であり、役に立たない。もちろん、見栄えである「美しさ」がインターフェースとしての役割を果たすこともあるが、偏重が過ぎれば意味を成さないものとなる。
逆に機能を重視する人が「デザインなんて関係ない」ということを口にすることも良くある。技術系の仕事だと特にありがちだ。しかし、これもまた当然間違いである。どんなに素晴らしい機能を持っていてもインターフェースとなるデザインがなっていなければ使い勝手は悪いし、そもそも使ってもらえないことだってある。この辺の感覚は「料理の盛り付け」に近いものがあるかもしれない。
そもそもインターフェースというものに注目するということ、それは単なる機能美とも異なるのだが、そのこと自体があまり重要視されていないと感じることもよくある。
インターフェースの違いがどれほどの結果を生むのか。それはMS-DOSからWindowsへと変化した時に起こった現象を例に挙げるまでもない。機能は決してモノの「内」にあるだけではない。「外」にもあるのだ。そしてデザインは決して「外見」なのではなく、「内実」でもあるのだ。
なんて偉そうなことを書いているが、自分のサイトが決してそれを満たしていないことは重々承知。だからこそ、の部分でもある。

『Best Of Corrs』(ASIN:B000E6G1B2)

急激にCorrsのDVDが欲しくなる。いやまあ最近『Breathless』をヘビーローテーションで聴いているせいなのだが、聴くだけでは飽きたらなくなってしまったのだ。だが、調べてみたら欲しいと思うLiveDVDはことごとくリージョン1だったりする。なんでじゃ!。『Live in London』が欲しいのになあ。
と思ってたらPVクリップ集である『Best Of Corrs』が一昨日出たばかりだよ!なんて素晴らしいタイミング!
金はないけど買ってしまおうかな。LiveDVDも早く国内版が出て欲しいなあ。輸入盤は安くていいんだけどね。