『慎治』今野敏 【bk1】

1997年に書かれた作品で、双葉社のものは絶版となっていたが、この度中公文庫として復刊。以前に『隠蔽捜査』があまりにも面白かったので、その他のおススメを聞いたら名前が挙がったのでずっと探していたのだが全然見つからなかったので、今回の復刊は大変ありがたい。
『慎治』というタイトルは、そのまんまズバリ『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公である碇シンジから取られている。つまり本作はエヴァの放映が終わって間もない頃に書かれた作品であり、今回の復刊もおそらくは劇場版新作エヴァに併せたものなのではないかと邪推する。
というわけで、本作はもう「オタク」というものを真正面から取り上げた作品で、一応は主人公であるいじめられっこの慎治が、オタク文化と出会うことで成長する、というストーリーがあるものの、内実としてはオタク文化礼賛、薀蓄満載のオタク文化本となっている。
などと囃し立てては見たものの、読み始めるとこれが滅法面白い。上記のストーリー展開の中で語られるオタクカルチャーとして、ガンダム、プラモデル、スクラッチビルド、サバイバルゲーム、格闘技という分野が紹介されるわけだが、ガンダムについてはなんとファーストガンダムからの歴史が延々語られ(ただし97年の作品なので08MS小隊まで)、プラモとフルスクラッチについては、まるで参考書のように作り方が丁寧に語られる。サバイバルゲームは実際に戦略を立て、なんとストーリー上で実際に行われてしまうし、格闘技については著者が空手家(三段)というせいもあってかやたらと力入れて書かれている。
とにかくもう、そのオタク薀蓄っぷりを楽しむほかないのだが、こうしたそれぞれの分野の説明がまあ見事。特にガンダムの世界観を説明する部分については、こんなに分かりやすい要約は読んだことがない、というほど見事。ひたすら説明しているだけなのに夢中になって読んでしまった。
で、ストーリー上はいじめられっこがオタク文化に出会って、成長する話、と書いたわけだが、例えばじゃあビルドゥングス・ロマンとして読むべきか、というとそうではない。実は真逆で、オタクたちが目指す「大人のオタク像」を描いている作品である。
慎治をスクラッチビルドという別世界に連れて行くのはなんと担任教師である。それ以外に登場するオタクたちも多少は変な人物としては書かれるが、慎治からは誰も彼もが「自分の世界」を持った輝かしい大人達として描かれている。つまり、その世界ではトップクラスであり、だがそれを奢らず、道を極めんとする男達である。
確かに表面的には「いじめからの脱却」は「別の世界を知ること」という構図が描かれているわけだが、それ以上に「大人のオタクはこうあれ」という強いメッセージを感じざるを得ない。その意味では発行当時から10年経って復刊されたことに意味も感じる。もし、1997年当時にこれを読んでオタクの世界に足を踏み入れた人がいたならば、10年経ってこういう大人のオタクたちになれているのか、ということを想像するのもまた感慨深い。
私個人はおそらく世間一般からすればオタクという人種に見られ、オタクという人種から見ればと普通人だよね、みたいな境界線上の人間だとは思うのだが、そんな私が読んでもこういうオタク、いやこういう大人であることを自身に望んだ。今野敏の作品に出てくる男達は一本芯が通っていていいなあ。

慎治 (中公文庫)

慎治 (中公文庫)